こんにちは、ぽこブログです
今回は、田中泰延氏による著書『読みたいことを、書けばいい。』についてご紹介していきたいと思います
わたしが本書を読んで思った事を言葉で表すなら、『あぁ、話すことが好きで、話が面白いオジサンの話を延々と聞き続け、気づいたら長い時間が過ぎていた。最初に文章術の話って聞いていたけど全く関係ないような話が多くて、でも何故だかわからないけどなんだか心に深く刺さった』
というような感じです
なんだか分かりづらいような気がするかもしれませんが、まさに本の題になっているように、本書は著者ご本人が『読みたいもの』が書かれているのです
ライターを志す方が、本書を『文章術のビジネス書』として捉えるのであればおすすめできませんが、「文章を書くことに行き詰まっている。文章を書く事の楽しさが見出せなくなった。」という方が本書を手に取るのは実におすすめだと思います
本書をおすすめしたい人
- ライターやSNSを発信している方(あるいは志している方)で、文章を書くことに行き詰まりを感じている方
- 文章を書くことに慣れていないが自分の書きたいものを書いてみたい方
- 就活生(自分自身が就活生のときに出会っていたかった一冊です)
『読みたいことを、書けばいい』ってどういうこと?
ここで少し話はずれますが、本の題には『読みたいことを、書けばいい』とありますが、わたしが本書を手に取った時、自分の中の偏見によって『書きたいことを、読めばいい』と勝手に変換されていました
ライター向けに、自分が書きたいと思うものに近い本や記事を読むんで勉強するべし…というような本だと思ったのだと思いますが、今思えばそんな面白くなさそうな本をなぜ手にとったのか不思議です(それこそ、わたし自身文章を書くことに行き詰まっていたのかも。結果として本書に出会えてよかったです。笑)
そのため、いざ本書を読み始めたとき、『え、どういう意味?』となってしまったのです
読みたいこと、つまり読み手として自分が読みたいと思う文章を書けばいいということを本書では一貫して書かれています
事実、読者のわたし視点で本書はとてもおもしろく、なんといってもとても読み進めやすかったです
これは、著者自身が読みたいことを形にした結果であり、本まるまる一冊を使って題名の『読みたいことを、書けばいい。』を体言しているかのようでした
題名にもある、たった12文字を約270ページにわたって書き続ける。(とはいえ、文章量はそれほど多くなく、これも読みやすさのポイントです)
それほどまでに文章を書く上で重要なことだといえます
本書では一貫して、この“読者としての文章術”を提唱しています
一見聞くと、それはとても簡単な事のように感じました
しかし実際は、自分の読みたいものを書いているようで、どこか他人の評価を気にしている。
そのうち他人による高い評価が得られるような文章を書くように(書かなければならないと思うように)なってしまう。。。ということは自分の経験にもよくあてはまる事だと感じました
ライターなど『他人に自分の書いた文章を読んでもらう』立場にあると、どうしても忘れがちなことなのかもしれません
読みたいことを書くためには?
読みたいことを書けばいい、ということはわかりました
ここからは、本社にある具体的にどうすればいいのかについてわたしが特に衝撃を受けたこと、心に刺さった事を中心にご紹介していきます
自分の書いているものの定義をしっかりする
ネットで読まれている文章の9割は『随筆』
この随筆こそが、最も書く人も読む人も多いジャンルだと著者は言います
それでは、随筆とはなんなのか?
著者は随筆を『事象と心象が交わるところに生まれる文章』と定義しています
事象=自分が見聞きして体験した事
心象=事象に対して思ったこと、考えたこと
ネット上で読まれる文章のほとんどがこの随筆であり、それと同時に人間が書きたいもの、読みたいものもまた随筆なのです
一方で、随筆が事象と心象との交わりであるのに対し、事象がメイン、心象がメインという文章も存在します
事象→報道、ルポルタージュ
心象→創作、フィクション
たとえば、ブログで映画の評論を書くとします
その中で事象寄りの文章を書くならば、映画のあらすじ、内容ばかりを書くことになります
逆に心象寄りに書くならば、自分の感想だけを書いてしまうことになります
自分の書く分野の定義をしっかり持たなければ、自分が何を書いているのかあやふやになってしまうということです
ターゲットを絞らない
ターゲットなど想定しなくていい
本書で一番驚いたのは、この言葉でした。
わたし自身、ブログを書いていこうと決めた時に多くのブロガー、情報発信者の記事をみてきたのですが、どれもこれも『誰に向けて書くのか、ターゲットを絞るべき』と書かれています
一方で本書では、真逆のターゲットを絞らなくていいというのです
この場合のターゲットを絞らなくていいというのは、特定の誰かに向けて文章を書くのでは、自分が読んで面白い文章がつくれないから、というものです
自分が書く文章を一番初めに読むのは自分自身であり、その自分が読んで面白くないのであれば、書く事自体が無駄になってしまう。
現にわたし自身も、いくつか文章を読む中で、たまに感じることがあるのですが、それは『あ、この文章、いやいや書いてるな…』ということ
思い込みかもしれませんが、文章って結構書き手の感情が現れてくるものだな、とわたしは思っています
その点、著者の考えのように、書き手であり最初の読み手である自分自身が面白いと思えない文章は、他人が読んでも面白くないというのは強く共感できます
どんな文章も、まずは自分が面白いと思えるか、それが基本であり、重要なのだと感じました
他人の評価の奴隷になってはいけない
他人の人生を生きてはいけない
ネット上に自分の書いた文章を上げれば、だれも読んでくれないとはいえ、数人は読んでくれる人が現れます
読んだ人の中には、その文章に対してひどい批判をする人もいるかとしれません
自分の書いた文章を読んで楽しいと思う事、満足することが本書の一貫する考えでありながらも、その文章を評価するのは他人なのです
つまり、文章を書いた当の本人は他人の評価・意見をきめることまではできないのです
そんな批判やマイナスの意見は気にせず自分の書きたいものを書けばいい!書いていく!
そう思える強い心があればいい!の、ですが
難しいことに他人の意見の中には批判だけではなく、称賛もあるということが事実です
自分の書いた文章が他人によって称賛されれば、『また次も褒められるような文章を書きたい』と思ってしまうことがあるかもしれません
こうして他人の評価に翻弄されていくことで、本当に自分の書きたいものが書けなくなってしまい、しまいには自分が読んで面白いと思える文章ではなくなってしまうのです
一次資料に当たる
「調べる」ためには一次資料に当たらなければならない
随筆とは、事象を述べて最後に心象を述べる著述形式です
そのため、随筆が読まれるためにはまずは人を惹きつける事象を提示しなければなりません
つまり、心象を語るには事象の強度が不可欠なのです
この事象をどこで調べるのか、それこそが一次資料に当たらなければならないということです
ネットが普及している現代では、誰でも簡単にネット検索ができるがゆえにネットの情報に頼ってしまいがちですが、それらはもはや出所がわからない又聞きの又聞き…ということが多いのが事実です
一次資料に則った正確な事象を提示する事で、いくら自分の好きな文章を書いても「この文章は一次資料に則って書かれている」と評価されるということです
著者はこの、“一次資料に当たる”という行動にものすごく時間を割いていて、公共図書館をはじめ、国立大学図書館、国立国会図書館などさまざまな図書館に出向いていました
言葉というのは文字通り葉であり、その葉を茂らせるためには根が必要である。それが一次資料である。
本書は文章術の“ビジネス書・ハウツー本”ではない
結論を述べると、本書は文章術のビジネス書やハウツー本と呼ばれるジャンルの本ではないということです
文章を簡単に上手に書く方法として、最後の最後にまとめられていますが、それはぜひ、本書を手に取ってご自分の目でご確認いただきたい内容です。笑
ビジネス書ではないとするなら、本書はなんかのか、ジャンルとして言葉に表すのは難しいですが、本書を通して一つわかることは、
自分が読んで面白いと思う文章を書き続ければ、人生が変わる
ということです
人生が変わる、というぶっとんだような表現をしましたが著者はそうやってきたことで、企業のコピーライターから本書を手がけるまでに繋がったのです
わたしもまずは一読者として、文章を書いていきたいと思います
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