『西の魔女が死んだ』感想

本&映画の紹介

梨木香歩氏の名著『西の魔女が死んだ』のレビューと感想を書いていこうと思います

本書は一言で言えば、わたしが今まで読んだどの小説よりも『美しい情景、丁寧な生活風景が目の前に広がるように感じられる』ものでした

ぽこ
ぽこ

美しい情景が描けるのはもちろんですが、内容も『こんな複雑な心境に、そんなわかりやすい例えがあるのか…!』と言わんばかりの言い回し

そして何より心に深く刺さって、涙なしでは読めない…!

わたしの一番お気に入りの作品に出会ってしまいました…

✏︎この記事で紹介していること✏︎

  • 『西の魔女が死んだ』レビュー
  • 『西の魔女が死んだ』あらすじ
  • 『西の魔女が死んだ』おばあちゃんの名言集

『西の魔女が死んだ』レビュー

読みやすさ ★★★★★

物語の舞台は、主人公である中学生のまいがおばあちゃんの家で一緒に生活する中にあり、暮らしの中での出来事一つ一つから垣間見える自然と共存した環境にあるおばあちゃんの家と、その丁寧な暮らしぶりに、まるで目の前にその光景が思い描かれるように、吸い込まれてついつい読み進めてしまう作品でした

また作品のタイトルにもあるように、本作品の冒頭は西の魔女(おばあちゃん)が亡くなった、というところから始まり、その段階ではおばあちゃんはおろか、主人公であるまいについてもどういう性格・関係性なのか明言されていないため、『どうしておばあちゃんが魔女なの?』『もしかしてSF系のストーリーなのかな?』と、ついつい続きが気になってしまい、あっという間に読んでしまえるような作品です

ストーリー ★★★★★

本書の有名さに、『いつか読んでみたい』と思っていてやっと読んだという具合なのですが、本書を読む前はそのタイトルから西洋のお話なのかな?と思っていました。が、いざ読み進めるとごく普通の日本の中学生の女の子が主人公で、まずそのギャップに驚きました。笑

わたしがこの作品の中で特に気に入っているところは、ストーリーの内容そのものはもちろんですが、おばあちゃんの家での暮らしぶりから垣間見える丁寧な生活(ベッドメイクしたり、タオルやシーツはきれいに見えるように整頓するなど)のカケラたちです。

特にわたしが『めちゃくちゃすてき…』と思ったシーンが、シーツを洗濯した後、ラベンダーの花々の上に濡れたシーツをかぶせて乾かすシーンです。ラベンダーはあらかじめ水を撒いて汚れを落としてあるためシーツが汚れる心配はなく、シーツにラベンダーの香りが程よくつくので夜もぐっすり眠れるそう…

情景が思い浮かぶ度 ★★★★★

いまだかつて、ここまで素敵な情景が目に浮かぶ作品は出会ったことがありません。

まるでわたし自身もその場に居合わせて、おばあちゃんとまいと3人で紅茶を飲んでいたかのような、そんな感覚になる作品です。

作家としては当然のことなのかもしれませんが、文章だけでここまで美しい情景を想像させられるのは、本当にすごい。すごすぎます。

『西の魔女が死んだ』あらすじ

田舎のベンチに座る一人のおばあさん

中学2年生の女の子まいは、『学校は自分に苦痛を与える場でしかない』と登校拒否になってしまう

そんなまいに対して母のとった行動が、『学校を休ませて、田舎のおばあちゃんのところで一緒に暮らさせる』というもの

田舎に住む外国人のおばあちゃんをまいは大好きで、共に庭のお手入れをしたり家事を学んだりしてのどかに暮らしていく

そんな生活の中で、おばあちゃんが突然まいに対して『魔女というものを知っていますか?』と質問し、実はおばあちゃんのそのまたおばあちゃんが魔女だったことを告げる

自分が魔女の家系だと知ったまいは、『どうしたら魔女の超能力が持てるのか』とおばあちゃんに尋ね、”基礎トレーニング”が必要だと言われる

とりわけ、”精神力を鍛える”ことが大切だと教わり、まいはおばあちゃんの教えを守って生活の中で基礎トレーニングに励んでいく

自然豊かな環境で、おばあちゃんの教えを守り心が変わっていくまいと、新しい学校生活の始まり、そしておばあちゃんの死、すべてを通してまいの心境の変化が感じられる作品です

『西の魔女が死んだ』おばあちゃんの名言集

ぼこ
ぼこ

ここからは、『西の魔女が死んだ』の中でとりわけお気に入りの“おばあちゃんの考え方”をご紹介します♪

いちばん大切なのは、意志の力。

目覚まし時計

魔女修行として、まずは基礎トレーニングが大切で『精神さえ鍛えれば大丈夫』と言われたまい

具体的には、早寝早起き、食事をしっかり取り、よく運動し、規則正しい生活をすることだと教わりました

しかしそれに対してまいは、それらは『体力を養う』ことであって、『精神を鍛える』ことではないんじゃないの?と質問します

それに、悪魔が本当にいるとして、そんな簡単なことで防げるのか?と

たしかに、基礎トレーニングという名前はついていますが内容はただの規則正しい生活のように感じます

それに対しておばあちゃんの言った言葉が、

『悪魔を防ぐためにも、魔女になるためにも、いちばん大切なのは、意志の力。自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力です。
まいはそんな簡単なことっていいますけれど、そういう簡単なことが、まいにとってはいちばん難しいことではないかしら。』

そして、『いちばん価値のあるもの、欲しいものは、いちばん難しい試練を乗り越えないと得られないのかもしれませんよ。』と付け加えています

おばあちゃん曰く、生まれつき意志の力が弱くても、少しずつ強くなれるという。最初は何も変わらないように感じるため、疑いの心や怠けや諦めが出てきがちですが、それらに打ち勝って黙々と続ける。そうすることで以前の自分とは違う自分を発見でき、また努力を続ける…それの繰り返しだと言う。

意志の力をつけるところの難しい点は、そもそもそれに挑戦するのが意志の弱い人の場合が多いから、挫折しやすいのだとか

ぽこ
ぽこ

”継続は力なり”

何事も諦めずに継続することで努力が身を結ぶことが多いのですが、そもそも継続する“意志”の力が大事なのですね…

自分で決める

道に書かれた3つの矢印

夕食後の時間は、おばあちゃんの『魔女の心得講座』が待っています

その中で魔女になるための必須条件として教わったのが、『自分で決める』ということ

一番大切なことは、自分で見ようとしたり、聞こうとする意志の力であるということ

ぽこ
ぽこ

結局、一番大切だという“意志の力”に通じてくるのですね

おばあちゃんの信じる死後の世界

夕陽に浮かぶ十字架

まいはおばあちゃんに『人は死んだらどうなるの』と尋ねました

実は以前、まいは自分のお父さんにも同じ質問をした時、『死んだら、もう最後の最後で、もうなんにもなくなる。まいが死んだとしても、それでもやっぱり、朝になったら太陽が出て、みんなは普通の生活を続ける』と言われたことを、心のどこかでずっと引きずっていたのでした

それに対しておばあちゃんは『ずっと辛かったね』とまいを慰め、おばあちゃんの信じている死後の話をしてくれました

その話というのが、人には魂というものがあり、人は身体と魂が合わさってできているのだという。魂は長い旅を続けており、赤ちゃんとして新品の身体に宿ってから、歳をとって使い古した身体から離れた後もずっと旅を続けるのだそう

死ぬことというのは、ずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだとおばあちゃんは考えているのです

この考え方に対してまいは、なんだか苦しむために身体があるようで、体を持つことはあまりいいことではないと感じます

それに対しておばあちゃんは、魂は身体を持つことによってしか物事を体験できないし、体験によってしか成長できないから、成長の機会を与えられるという、“この世に生を受ける”ということは、魂にとっては願ってもないビッグチャンスなのだと言いました

そして、身体があると楽しいこともいっぱいあるのだと付け加えてくれ、まいの長年心にあって苦しんできた重石が取り除かれた気がしたのです

この話を聞いた夜、まいは蟹になった夢を見たと言います。赤ちゃんの頃は体が柔らかく、居心地がよかったのに、だんだん体が硬くなり、体の一番奥まで硬くなりそうになり、『ああ、もうだめだ』と思ったときに脱皮が始まったという夢だといいます

その夢から、『死んで魂が身体を離れるときってこんな気持ちなのかなあ』と感じたそう

ぽこ
ぽこ

まだ幼いものの、自分の性格について悩むまいに対して、きっと悪気はなく言ったお父さんの言葉がすごく刺さっていたのでしょうね…

それをおばあちゃんはそっと取り除いてくれたのです

自分の直感を大切にする

閃く電球の書かれた付箋

おばあちゃんは、魔女修行の一番大事なレッスンとして、自分の直感を大事にしなければならないことを教えます

ただし、その直感に取り付かれてはいけないのです

直感に取りつかれてしまった瞬間、それは激しい思い込み、妄想となってその人自身を支配してしまうのです

そのため、直感は直感として心のどこかにしまっておくことが大切なのだといいます

直感による疑惑や憎悪に支配されてしまったら、もしそれが真実だと分かった時にさらに新しい恨みや憎しみに支配されてしまい、そういった負のエネルギーは人をひどく疲れさせてしまうのです

ぽこ
ぽこ

直感という名の思い込みに囚われることで、冷静な判断ができなくなってしまうんですね

自分が楽に生きられる場所を選ぶ

小さな島に続く1本の橋

まいは、おばあちゃんの家に来る前に通っていた中学校で1人のターゲットとしていじめを受けていたのでした

両親はいじめのことまでは知らないものの、まいが登校拒否するのには理由があると思い、転校の話を持ちかけました

それに対してまいは、転校してクラスから抜け出せたとしても、それは敵前逃亡のようで、一番根本的な問題は解決していないと言います。

それに対しておばあちゃんは、自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はないといいました

サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか

おばあちゃんの説得力のある考え方に、まいは道を決めたのでした

ぽこ
ぽこ

ここの例え話が分かりやすすぎて、わたし自身、勇気を与えられました…

誰しも心のどこかに“まい”がいる

感受性の強いまいは、両親の何気なく発した言葉(当の本人たちは覚えてもいない)に深く傷つき、自分自身を『扱いにくい子』『生きにくいタイプの子』として責めてしまい、心を閉ざしまいます

それに対して、おばあちゃんがその閉ざされた心をゆっくりとときほぐしていく情景が、おばあちゃんとの自然豊かな暮らし、魔女修行の中で描かれているのが本作品です

この作品を通して感じたことは、これは“感受性の強い”まいに限った話ではなく、子供というのは普段親などの周りの人が気にしないような些細な一言が深く心に残って、引きずってしまうということは少なくないのではないかということです

それに対して、まいのおばあちゃんのような存在がいることが本当の救いなのだと感じました

誰にでも、自分に対するちょっとした悩みや不満、心にもやもやを抱えているのではないでしょうか

この本を読んで、おばあちゃんとともに魔女修行をしていくうちに、心の奥深くの固く閉ざしてしまったところが溶けていくのを感じられるのではないでしょうか

ここまで読んでいただきありがとうございました☺︎

おしまいっ

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